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阅读训练:家业足球 双峰入云

发布时间:2017-10-21  来源:  浏览:517


JR上野駅前の和菓子店岡埜栄泉(おかのえいせん)は創業明治6(1873)年の老舗である。きのう名物の豆大福をほおばった。ほどよい甘さとかすかな塩味が口の中に広がった

位于JR上野站前的和式点心店冈埜荣泉是一家开业于明治6(1873)年的老字号。昨天,我还狼吞虎咽地品尝了他家的名点豆大福(赤豆糯米团)。只觉得适当的甜度和些微的咸味在口中慢慢弥散。

老舗の5代目でありながら、日本のサッカー界を率いた岡野俊一郎さんが85歳で亡くなった。選手や監督、日本サッカー協会長として世界を飛び回る一方、家業に戻れば大福やどら焼きの秘伝を守る。世にも珍しい二足のわらじをはいた

这家老字号的第5代传人,同时也是日本足球界的领军人物冈野俊一郎先生以85岁高龄辞世。作为一名球员、总教练以及日本足球协会会长的他不仅在世界各国飞来飞去到处跑,在继承家业制作大福及铜锣糯米饼方面仍恪守祖传的秘密配方工艺。成功地完成了世上罕见的双丰收佳绩。

サッカーとの出会いは大戦のさなか。シューズの代わりに地下足袋で蹴った。日本代表に選ばれるものの、力不足を痛感する。目標に据えたのが1964年の東京五輪。ドイツからデットマール・クラマー氏を招き、蹴り方の基本から学ぶ。本番ではコーチとして8強入りを果たした

与足球的邂逅在二次大战战火正酣时期,没有球鞋便穿着农活用粗布胶鞋踢。虽然被推选为日本代表队成员,可是他深切地感到力不从心。使他将足球设为人生目标的是1964年举办的东京奥运会。特意从德国聘请了德特马尔•克莱默(Dettmar Cramer)先生,从踢球的基本开始悉心学习。在大赛中作为教练实现了闯入8强的夙愿。

サッカー人生には厚い雲の垂れこめた時期もある。日本代表監督として在任2年、五輪出場を逸して非難の声に沈んだ。監督に必要な包容力が自分には足りない。しょせんは参謀役にしか向かない。悩んで胃に潰瘍(かいよう)の穴が二つ開いたと自著に記す

在其足球生涯中也曾经有过乌云压顶的时期。作为日本代表队总教练2年任职期间,痛失进军奥运会的机会,并因此而遭到舆论的谴责,且一蹶不振。在其著作中记述道,他发现自己缺乏总教练所必须具备的宽容,归根结底只适合承担出谋划策的角色。而且,还因为沮丧烦恼而造成胃部溃疡,两处穿孔。

その人脈は政財界から国外へと広がり、ワールドカップ日韓共催を実現させた。国際オリンピック委員会(IOC)でも委員として活躍した

他的人脉从政界财界到国外可谓非常广泛,并且实现了日韩共同举办世界杯赛的壮举。作为委员,在国际奥委会的工作中也曾经大显身手。

2020年東京五輪の行方を心配していた。「このままでは、観光客を増やすための大会、おもてなしのための大会になってしまう」。昨秋、スポーツニッポンに書き残している。「経費ばかりが膨らみ、何も後世に残らないこと」をほかのだれよりも憂慮した。

他担心2020年东京奥运会的筹办方式,“如此发展那将办成一届只是为了增加游客数量的大会,一届为了举办而举办的大会”。去年秋季,他在体育日本中撰写道,“只是经费在一味地增加,没有任何可以留给子孙后代的东西”。不难看出,他比其他任何人都更加焦虑。